2013年08月31日

フマール農園 75. 一閃(いっせん)

C20120804夏搾り.JPG
8月。
お盆前はブルーベリーの最盛期。
恒例のブルーベリー狩りのお手伝いに出かけた。
真夏日でありながら田舎の風が涼しく、ぽろぽろと実を摘む作業も気持ちいい。
結構やったなと思いながら葉っぱの下に手を差し入れた瞬間、今日のその時が来た。

ギューーーン!
指先にぶっとい注射針を刺し込まれたような激痛が走った。

あっっ!いたっっ
小さな何かが地面に落ちて姿を消した。
周囲の人々の目があるので僕は平静を装い、サムライ魂を見せたところで静かに下山した。
もはや収穫などする気になれないのだった。
たぶんアシナガバチ。

C20120823畑.jpg
ほったらかし畑ではキュウリの苗がぽこぽこと実をつけ始めていた。
キュウリは大きくなる前に収穫すると、次から次へと実を結ぶ。
遅れるとボブ・サップのような巨大なキュウリになって、身が固くて美味しくない。
嬉しい悩みだが、この季節は「月イチ2時間」は無理かも知れない。
毎週取って帰るようだ。

次は山のお手入れ。
まず桃の木に光をいっぱい当てようと周りの雑木を切り始めた。
するとすぐに蜂の羽音が聞こえ、1匹が威嚇のように僕の周りを飛んだ。
どうやら巣が近いのかもしれない。
しかし気にせず木を切り始めた瞬間、今日のその時が来た。

一閃、小さい黒いものが腕に飛んできた。
くの字の体勢のまま、まったく無駄のない最短距離で。
そして線香花火の先っちょが皮膚に落ちたような細い激痛が走った。

あつっっ!
僕はすぐにその場を立ち去り、長袖を巻くって毒を吸い出そうとした。
吸いながら、あれっ?思ったほど痛くないからスズメバチじゃないな、大丈夫かも。
たぶんミツバチ。
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2013年09月30日

フマール農園 76. 綿毛(わたげ)

C20120918畑.jpg C20120918山.jpg
9月。
お彼岸。
なかなかトリシアと会えない日々が続いていた。
落ち着かない僕はいずれにしても畑に行こうと思い立った。
すっかり秋になった田舎の景色は清々しく、心を落ち着かせた。

草を刈っていると、小さな白い虫がふわふわと飛んでいるのが見えた。
C20120918飛んできた綿毛.jpg
手袋で受けると、それはたんぽぽのような種だった。
たばこのドーナツ煙のように、畑の南側で風が吹く度に、ほわっと舞い上がっている。
そして柵などまったく気にも止めず、越えてふわふわとやってくるのだ。

届けばや 宵待つ妹(いも)へ 風綿毛(かぜわたげ)

ニンジン、ゴボウ、べんり菜の種をそれぞれの畝に蒔いて帰った。
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2013年10月31日

フマール農園 77. 圃場(ほじょう)

10月。
長文を許していただきたい。
拙いブログを誰よりもよく見てくれていた叔父に。
このようなことを書くのを叔父は好まないかも知れない。しかし今まで本音でなかなか話し合えなかったことを、聞きたかったのではないかと思い、ここに伝えたい。

今朝ノリおじさんが亡くなった。畑を貸してくれていた、僕の叔父だ。数年前手術をして腕のリンパを切除したと聞いていたが、その後は普通に仕事をしていたので気にしていなかった。用のあるときには時々連絡もしていた。

今年の8月、ノリおじさんから突然メールが届いた。
「草刈機を修理して古い刈刃も研いておいたので、草刈りをしておいてください。早くしないとあなたの夏休みはすぐに終わってしまいますよ。すぐ秋に!」
いつものニヒルな叱咤だった。本気が伝わってこない僕の農業への不満だろうと思い、当たり障りのない詰まらないメールを返した。
「ありがとうございます。もう完全にお盆は過ぎていますね。がんばります」
叔父からメールが来るのは珍しく、体調が優れない話は聞いていたので、それもあるのかなくらいに思っていた。

その後、畑がてら叔父の家に寄ることもできたが、僕はそれを憚っていた。体調不良の噂を頻繁に耳にするようになったからだった。病の姿を目の当たりにするのが訳もなく怖かった。逆にフマールパパは叔父の手伝いに頻繁に顔を出すようになっていた。
稲刈りを迎える頃には、叔父の体調の悪さは近所のヒデじいさんからも聞くほどになっていた。本人ではまったく農作業は出来ないという。
叔父が気に掛けていた米の収穫も終わり、フマールパパが車に乗せて大きな病院へ連れて行くと、即入院の状態だった。

僕が見舞いに尋ねたとき、そこには変わり果てたノリおじさんの姿があった。最初それが叔父だと気付かなかった。あの力強い肉体はどこもなく、皮膚は頬骨に貼り付き、何より覇気のある野太い声が細い囁きに変わっていた。
それでも会話の内容は相変わらずで、僕への叱咤だった。ノリおじさんとの関係はいつもこうだった。照れもあったのだろうか。自分と気質の似た近親へのもどかしさ、あるいは少しばかりの可愛さを感じていてくれたのだろうか。

畑を始めて2年目の秋にノリおじさんと揉めたことがあった。草ぼうぼうの畑を見かねて、返せと言ってきたのだ。その時は、ただ草を刈らないだけでどうしてそんなに言われなければならないのか分からなかった。おじさんは言った、「お前は圃場(ほじょう)という言葉を知らないのか?」と。僕はそれを「保壌」だと勘違いした。畑は放って置けばすぐに藪になる。先祖から脈々と継いできた耕地を、僕の遊びのために駄目にする訳にはいかないというのだった。
もちろん僕には畑を潰す気などさらさらなく、むしろ良い土を作っているくらいに思っていた。そして周囲の目を気にするそういった田舎の精神に反発心すら抱いた。
結局土手の草を刈ることで納得してもらい、内はぼうぼうでも辛うじて体裁を整えることになった。

葬儀の朝、僕は4時に目が覚めてずっと考え事をしていた。それは叔父の最後のメールのことだった。
約束してからは定期的に草を刈っていたので、一度も注意を受けたことはなかった。今夏もそれは同じはずだった。だとすれば叔父の趣旨は後半にあるのだろう。
「早くしないとあなたの夏休みはすぐにおわってしまいますよ。すぐ秋に!」
叱咤としか思わなかった言葉に、今になって激励がこもっていることを知った。
叔父は僕に何がやりたいのか分からないと言いながらも、畑を貸しつづけた。「時代がお前に振り向いてくることがあるかも知れない」と、近所の酪農家が晩年になって評価された例を話してくれたりした。どこかで楽しみに思ってくれていたはずだった。

告別式の挨拶を聞いて、叔父がすでに3年前から病と闘っていたことを知った。分析家の叔父ならば自分の死期は察していたに違いない。

畑では淡々と、しかし一つの大きな変化が始まっていた。
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2013年11月30日

フマール農園 78. 便りがないのが良い便り

11月。
満ち足りた旅人は便りを寄越さず。

夏野菜の残渣(ざんさ)もろとも撫で斬りにした9月。
そのあとにべんり菜を蒔いた。
べんり菜とは、小松菜とチンゲン菜のハーフ。
その名に違わず、育てるのが簡単な上、癖がなくどのような料理にもよく合う。
鍬で線を引き、そこに種をパラパラと降ろし、軽く土を被せる。だけ。
あれれ?キコリザワの言ったように、普通のやり方が一番楽じゃね。

C20121025.べんり菜.jpg C20121025べんり菜収穫.jpg
10月には間引きを兼ねて収穫。また収穫。そして収穫。
ベビーリーフはサラダに、中ぐらいのはお浸しに、巨大なものは炒めものに。
秋の葉物はスーパーで買う必要がなくなった。(これは2年連続成功しているので間違いない)

11月は果樹園に力を入れた。
いつものごとく、注文した苗木は雪が降ろうかという晩秋に届く。
せっかくの果樹の子が寒さで枯れないように、そうだ、籾殻を蒔こう。
田舎に点在している精米所をはしごするが、ない。
JAに相談に行くと、「ライスセンターに無ければもう無い」とのこと。

町外れにある人気のないライスセンターで、恐る恐る倉庫の中を覗いてみると、奥の事務所に一人のおじさんが座っていた。
「今日でもう処分しようと思っていたよ。あまりいいのはないが、それで構わんなら持って行きんさい」
両手でわっさわっさと雪を掻くシロクマのように大袋に詰めて、お礼を言って帰った。

そして苗木の足元を包んだ。
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2014年06月30日

フマール農園 79. しょうもない話

12月から6月まで。
マルックと喧嘩からの仲直りをした話をしようと思ったが、あまりにしょうもないので止めにしよう。
そろそろ畑の話をまともにしないと可怪しいだろう。
プライベートがフル回転だった分だけ、畑がおざなりなっていたのは確かだ。
しかし、そうした中でも、明るい未来に向けて大きな手応えは感じていた。
はじめてパナマ地峡を眺めたヌニュス・デ・バルモアのように。

C20130325べんり菜の花.jpg C20130501畑.jpg C20130520畑.jpg C20130617べんり菜自家採種1.jpg
べんり菜。
昨秋にすべては収穫せず、春まで待って菜の花になったところを食べた。
さらにそれも多くは残して、花を咲かせ、種を結ばせた。
種の詰まった穂先を刈り取り、ブルーシートに包んで踏みつけると、乾燥した莢はパラパラと種と殻に分離した。
これ、すなわち自家採種。

C20130603苺.jpg C20130603苺収穫.jpg
苺。
安定して6月上旬に市販レベルのものが生っている。お庭がある人にはぜひお勧め。

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西瓜。
これはチャレンジ。
苗ですら上手く育てたことのない西瓜を、種から。
こういうカボチャ系の成長の仕方をする作物は、幼少期さえ乗り越えればイケるはずだ。
それが今回順調に来ている。

以上、すべて放ったらかしにつき。
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posted by from_grassroots at 23:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月31日

フマール農園 80. 西瓜の向こう側

「都市生活者にとっての自然農のあり方を探してきた。簡単じゃないといけなかった」
周りにはそう言ってきた。哲学的な表現で頭の良い人と思われたかったのだ。

しかし、本心は・・・
楽じゃないとオレがやる気がせんし、簡単じゃないとオレが続かん、だった。


7月から12月まで。
良き年の終わりに、西瓜のことを話そう。
甘くて美味しい食べ物は、一般的に育てるのがむずかしい。
これまで何度かスイカやメロンにチャレンジしたが、苗からですらダメだった。

でも、そろそろできるのではないかと思った。

4月22日、土を少しだけ剥いで、西瓜と真桑瓜の種を蒔いた。
成長は芳しくなく、同時期のカボチャに比べると、昭和の日本人とアルゼンチン人くらい発育に差があった。

8月、期待せず見回りをしていると、ソフトボールくらいの西瓜が見えた。僕は思わず、おおぉ!と声を上げた。
C20130803.西瓜.jpg
さらに回ると、ハンドボール大の西瓜が草陰に埋もれていた。二度目の咆哮が空に響いた。

C20130822.西瓜.jpg
切ってみると・・・ウマし!!普通にウマし!!

もっと大きくしてやろうと欲が出た。
いい感じなのを残して8月下旬まで待った。
再び行くと・・・割れていた。雨に打たれると割れるのかぁ。


このことだけではないが、僕は自然農があることを確信した。
そして自分があとちょっとの所まで来ていることを知った。
じつを言うと、次の年も同じように種を蒔いて、同じような中途半端な結果になった。
自然のポリリズムはいつ一致するのやら。
「惜しい!広島県」
「泣ける広島県」
「チョコレート・ディスコ」



これがフマールの最後の日記になります。
キコリザワがとうとう本当の木樵りになったので、そちらにバトンタッチ。
これからは里山生活に入ったキコリザワが、面白い話を聞かせてくれるでしょう。

こちらは来年も畑に立ち、日記もどこかに落とすかな。
これまで読んでくださった皆様に、さよならの代わりに、感謝を込めて。
どうぞ良い年をお迎えくださいませ。

M.K.フマール
posted by from_grassroots at 23:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする