2月。
家に帰ると、種が届いていた。
僕はそれを全部開けて、大きさ別に3つの袋に分けた。
種を選別しながら、ずっと考え事をしていた。
辺見庸のドキュメンタリー番組を見ながら。
僕は辺見氏ほど“実存に対して真摯に向き合う”作家を知らない。
あの人はずっとそうやって生きてきたから、話せる作家になれたのだと思う。
ここでの“話せる”とは、「おしゃべりが上手な」という意味ではなく、「内観しながら少しずつ紡ぐ。文章を推敲するような深さで、言葉を発することができる」という意味だ。
僕はこれまで偽りの言葉を書いている。
それも、もう、止めようかと思う。
マルックと一緒にシードボールを作り、干している間に遠くの温泉まで足をのばした。
戻ってきたのは日が暮れてからで、半月の下、2人はシードボールをばら蒔いた。
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